美女と野獣について考えたこと

台風の週末はDVD鑑賞。
娘のリクエストで「美女と野獣」はじめ
ディズニー三昧だった。
「アナと雪の女王」が普通に映画だったので
もはやディズニーはキッズ特化ではないのだと
認識したのだが、
今回はさらにその認識を強くした。

「美女と野獣」の原作は子供のころに読んだ。
原作では、女はよくばるべきではないし、
つつましくしていれば幸せにしてもらえる、
と主張する説教ものだった。
例によって悪い例役に長女と次女、
ヒロインは三女(末娘)である。
父親はつましく美しい三女を愛する商人で
野獣は姿こそ野獣だが中身はれっきとした紳士であった。
しかしながら、
父は娘を野獣の元にやることに対し
「言い出しにくい」程度の葛藤しかなかった。


まずはアニメ版。

原作と違い、王子はその傲慢さ浅はかさゆえに
野獣の姿になる。
さらに、アニメの野獣は野獣歴10年の間に
すっかり人間らしさを忘れていたものが、
ベルとのかかわりを通して
だんだん人間に還っていく様子が描かれていたと思う。
内面の変化が見られなかった原作とは大きく違う。

そして原作にはなかったガストン。
彼は外見(筋肉美とか造形美とか)のみを問題にして
内面(知性とか)を軽視する態度が一貫してた。
彼は「その傲慢と浅はかを魔女にいさめられることがなかった王子」なんだな、と思った。

王子の外見を取り戻すために必要なことは
人を愛することを知る
恐ろしい外見にかかわらず内面を愛する人に出会いその愛を得る
だった。

ということは、ベルの帰宅の希望を受け入れた時点で最初の条件満たしてないか?
さらに、ベルが野獣の元に向かった時点で2番目の条件もクリアだと思う。
野獣を殺そうと村の男たちが城に向かったのはわかっている、
ベルの行動は村の男たちと敵対覚悟のはずなんだから。
さらには野獣はガストンの命も助けている。
おそらくは、ガストンが昔の王子と同じなんだと気が付いたから。
でも、ガストンは墜落死(昔の王子の死の象徴?)
これでクリアでいいじゃないか。

でも、きちんと口に出して「愛してる」と言わせるまで許さない。
こういうところはアメリカ人って厳しい。



実写版の野獣はアニメ版ほど人間を忘れてなかった。

そして実写版のガストンは王子ではなかった。
なんと彼は戦争や血を好む変質者だったのだ!
ゆえに実写版のガストンはただの悪役で深みがない。

野獣王子に関してはアニメ版以上に
「人を」愛することができるようになっていく過程を描いていたと思う。
特にベルに本を与えたシーンだ。
それまでの城のおもてなしは
「若い女が喜びそうなことをする」であったものが、
これ以降は「ベル」に対するものになっているのだ。
王子はついに「脳内にいる『女』なるもの」ではなく
現実に存在する人間ベルを見ることができるようになったのだ。

また、ベルの個性もいっそう際立っている。
人々は彼女を遠巻きに眺めているだけで
関わろうとするのはガストンだけ。
少女に読み方を教えて非難される。
他者の目を気にする部分はあるものの
それは非常に少なく、
ベルはわが道を行く。

愛の告白について。

きちんと口に出さなければいけないところは
アニメ版とも共通だった。

映像の美しさは圧巻だったが、
気になることがひとつ。

学校で勉強しているのは少年たちだけ。
好意で少女に手ほどきしたベルが非難され
少女の母親にもにらまれる
と男尊女卑の激しさが表現されていた。

一方で、呪いが解けて人間に戻った召使たちに
けっこう黒人がいた。
それも下働きではない高位の召使にもいる。
領主にこそなれないものの、
召使の範囲内であれば、
有色人種であっても能力が認められることもある、
と見える。

女性差別があれで
人種差別があんなものだったんだろうか?

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